聴覚障害者に対するがん支援③
がんを患ったろう者は、そもそも病院で不便な思いをして困っているのでしょうか?
困っているとすれば、それはどんな時なのでしょう?
前回までで、ろう者と医療者(健聴者)の間に「認識のズレ」があることがわかりました。
例えば・・・
ろう者→日本語が不得手な場合がある
医療者(健聴者)→ろう者を、「耳の聞こえない人」とだけの認識
日本語の読み書きに不自由はない、と考えている
そして、この「認識のズレ」が、病院の現場で不具合を起こすだろう、と想像しました。
では、具体的にどんな場面が起こるのでしょうか?
もともと、ろう者と健聴者のコミュニケーションは、手話通訳者が間に入ります。ろう者と健聴者、お互いをよく知り、その名の通り、通訳してくれます。医療の現場では、ろう者が要望すれば、手話通訳者を派遣することが法律で義務付けられてもいます。しかし、手話通訳者が立ち会えない場合もあるようです。
例えば入院時。患者は24時間病院にいるわけで、非常に通訳が頼みにくい状況になります。またいたとしても、検査室などへの入室は断られる場合があるんだとか
ろう者で乳がん経験者の皆川明子さんの体験を話してくれました。手話通訳者がいない診察の現場で、こんなことがあったそうです
<皆川さんが体験したこと①>
リンパ浮腫に注意するようにと医師からいつも言われていたのです。自分では注意していたつもりですが、親の介護のために今年の春頃腫れてしまいました。マッサージなどの緊急の治療をしなければいけないので、慌てて病院に予約を取ったのですが、その時手話通訳を依頼しても間に合いませんでした。
筆談で何とかなるのかと思い病院に行きましたが、その時の看護師さんはマスクをしたままで話すので、私は耳が聞こえません。聞こえないのでマスクを外してほしいと紙に書いてみせました。聞こえない人は話がわからなくても顔の表情である程度感情を汲み取るのです。
でも、マスクはとらず、身振り手振りで服を脱いでここにいてと言われました。そのあとプリントを渡され、そこには、リンパ浮腫ですね。このプリントを読んでわからない事があったら今質問してください、と書かれていました。渡されたプリントを読まなければいけないんだ。そんな時間もないし・・・結局質問もできないままでした。
マスクしたままだったのでいろいろ聞いたりしていいのか全く判断できず、その看護師の
言われるままになってしまったのです。
それにリンパ浮腫だと言われるとやはり大きなショックを受けたわけでがんの告知ほどではないんですが、やっぱりリンパ浮腫なんだと。
プリントにはマッサージの仕方などの説明が書かれてましたが、実際に看護師の指導で
力の具合などを察しながら覚えていくものです。ですが大学病院なのでどこでも誰でもバタバタしてるので自分のために筆談なんかできないと思いました。こちらからは何もいえなかったのです。
看護師には「ろう者は読み書きに不自由していないはず。」との思いがあったのでしょう。また、ろう者は、口の動きを読む、ということも知らなかった。結果として、看護師は、患者とコミュニケーションが取れていないということがわからないという状態と思います。看護師には悪気はありません。普通に仕事をしているという感覚だと思います。ところが、皆川さんは何もいえなくなる状況へと追い込まれていきました。
次は筆談です。
筆談は要約するわけで、情報量が少なくなる、との認識は、私・さくえもんにはあります。みなさんもそうですよね。でも、それだけではないようです。
皆川さんの事例をみてみます。
<皆川さんが体験したこと②>
声で話す中身と変わらずに紙に書いてくれる人もいますがほんの一部でしょうね。
話し言葉で話す内容をすべて文字にして書いてくれても日本語ですから内容を把握できるかというとそれが難しいろう者も多いです。だからといって簡単に書けばわかるってことでもありません。
術前化学療法で初回の点滴を入院でやった時のことです。初めて病室に入って病棟の看護師にいろいろと説明を聞くわけですがメモに箇条書きの文で書いてくれました。点滴後
しばらくして吐き気を催してその夜の食事は全く食べられずそのままにしたのですがお見舞いにきた子供がもったいないからと食べたというより食べてくれたんです。お膳を下げに来た看護師がびっくりしてよく食べられたのねと驚いてましたが、私は子供がたべたんですよとメモに書いたら怒られました。食べた量のチェックをするんですね。そのことを全く知らなかったのですし看護師からも説明がありませんでした。その経過を隣の患者が聞いたというかわかってらっしゃったようでその人が丁寧にメモに書いて話してくれてやっとその意味がわかりました。
一般的に聴覚障害はコミュニケーション障害を伴う2次障害があるといわれてます。
意思疎通の難しさは健聴者と聴覚障害者もともに感じるのだと思います。その壁をどうしていくか?それが大きな問題でもあります。
なかなか難しいですね。
要約だから、細かいところで必ず行き違いが起こる。そしてこういう場合、ダメージ被るのはろう者のほうになりやすいと感じました。
筆談で診察すると、約5倍の時間がかかるそうです。僕も筆談をしたことがあります。時間がかかることが途中でわかってきました。そしてだんだん億劫な気持ちになり、途中で早く切り上げようと気持ちが変わっていったことを覚えています。医療者が僕と同じかどうかはわかりません。でも、この状態を知っていないと、忙しい医療現場で不具合が起こったとき、皆川さんの体験のように、医療者側がキレることにもなるんだろうな、と思いました。
聴覚障害者を支援する「聴障・医ネット」の平野先生は、筆談に対して、別の面もあることを教えてくれました。
ろう者の母語は手話。母語ではない言語を使ってコミュニケーションすることが大変なのは当たりまえですよね。みなさんアメリカ行って具合悪くなったとき、すぐに病院かかろうと思いますか?ある程度我慢するのではないか?それは英語で話さなければならず、コミュニケーションが難しいからです。手話を母語とするろう者が、日本語で筆談する。コミュニケーションの難しさを感じるのは当たり前です。
医者は「筆談するから大丈夫」と好意的に手話通訳者に遠慮してもらう場合もありますが、筆談では十分に伝わらないから通訳を頼んでいるんだということが理解されないんです。
筆談は「母語ではないコミュニケーションを強要している」面があるという指摘・・・そんなこと考えてもみませんでした。
片方は、5倍の時間をかかるコミュニケーション、と思い
片方は、母語ではないコミュニケーションでそもそもやりにくさを感じている。
筆談は、そんな面を含むコミュニケーションなのかも。
ちょっと話しがずれるのですが、こんなこともあるそうです。
病院との連絡がとりづらいという問題があります。 病院との連絡は電話が基本になっているのがほとんどであり、ファックス(聴覚障害者の基本連絡手段)番号すら公開 していないことは、よくあります。たとえば、年金情報が もれた事件がありましたが、心配であれば連絡しろと いいながら、年金機構からの文章には電話番号しか書いてなかったそうです。このようなことは日常茶飯事です。
今回はここまで。続きます。