肺がん8年生 MIRAさん①
MIRAさんは、イレッサ継続4年強というスーパーレスポンダー(とっても効く人という意味ね)。うらやましい。実にうらやましいです。でもよくよく聞いてみると、そんな簡単に治療は進んでないです。ではスタートです。どうぞ~。
<病歴>
2007年11月 ステージ1aで胸腔鏡手術→胸膜播種でそのまま縫合
12月 イレッサ
2012年 1月 アリムタ+シスプラチン 4クール
アリムタ単剤 1クール
2012年 9月 セカンドイレッサ(3日に一錠)
2013年 2月 TS-1
タルセバ
アブラキサン
ナベルビン
2014年 7月 ジオトリフ
現在 ジオトリフ隔日服用
神奈川県に住むMIRAさん(60代)。がんの宣告を受けたのは2007年の秋でした。フラワーアレンジメントの先生として活躍し、家庭面では2人の子供も独立。そんな、生活が充実していたときのことだったといいます。
――がんがわかったのは健康診断ですか?
そうです。健康診断でわかりました。影があると言われて・・・美容院で髪を切ってもらってたんです。そしたら急に胸が痛くなったんです。それで健康診断を兼ね,病院に行きました。その時は,がんのことを全く知りません。自分が病気になるなんて考えてない。もちろんみなさんそうですね。で、ステージ1a(早期)ということだったので手術して取ってしまえば大丈夫ですよ、と先生から言われました。
※ステージって何?
→ステージの説明はこちら
最初は○○病院に行きました。でも大部屋しかないと言います。そうしたら主人が、変な情報が入ってきてしまうから、個室じゃないとだめだというんです。そしたら個室は1ヶ月以上先だというんですね。で、いつになるかわからないということで紹介状を書いてもらって□□病院に行きました。そこの先生がすごく良い先生で、1週間後には、手術をしてくださいました。
青天の霹靂でがんが見つかったものの、「早期」との診断。
手術でとってしまえば、また普通の生活に戻ることができる…そう説明されました。
ところが…うまくことは運びませんでした
手術は実行されたものの、がんを摘出せずに終わります。何もせずに、閉じられました。胸膜播種が見つかったのです。肺を覆う膜に、種をまいたようにぽつぽつとがんが転移する、それが胸膜播種です。これが見つかれば、ステージ4の診断が下ります(当時は3b)。つまり、手術や放射線は適応外となり、治療は抗がん剤だけ。そのため、MIRAさんは手術したにもかかわらず、何もせずに閉じたというわけです。
真っ白でした。目の前が真っ白でした。何も考えられなかったです。もうどうしていいのかわからない。先が全くなんにも見えないんです。自分が不幸のど真ん中にいる。私だけがなぜ?という感じでしたね。
――手術でとれば治る、ってことでしたものね。
もし最初に取れない場合もありますよと言ってくださったら、そこまで落ち込まなかったかもしれないですが。「大丈夫、大丈夫、すぐに取りましょう」ということで1週間後にやってくださったんです。だからねえ、どん底ですよね。本当に、うーん…。
そのとき、ある状況がMIRAさんの心をさらに追い込んだといいます。
□□病院の最上階の個室だったんですよ。
――最上階!
そうそうジャグジーとかあってすごいですよ(笑)そしたら何も声がしないんです。
――シーンとしている
そうなんです。看護婦さんも来ないようにしてくださった。だから話す人が誰もいないですよね。窓から下を見ると商店街がみえました。東側には繁華街がみえる。みんな忙しそうな感じなんですよ。自分1人が取り残されたような気がしました。だんだんだんだん孤立してね。うつになっちゃいまして…。
ですからね、私、思うんですけれども、これから入院をされる方がいたら大部屋がいいと思います。個室はだめです。治る病気だったらいいですけど、(大部屋なら)情報も得られますでしょ。
――そうですね
人がいるということはやっぱり、ね。人それぞれかもしれないけど、私は周りの人がいっぱいの中で育ってきたので孤独で寂しいです。耐えられません(笑)
――旦那さんは?
自営業だったので、毎日病院に来てくれました。で、ステージ3bだとわかって余命が6ヶ月と言われたときには・・・
――ええー!そんなこと言われるんですか?
言われました。主人は妻がうつ状態だから告知しないでくれと頼んだんですが、今はそういうわけにはいかないと断られたそうです。で、二人で告知を受けました。そしたら主人は会社をしめてしまって・・・辞めちゃったんです、会社。そうして病院毎日通っていました。
――すごいですね。
子供も独立して主人と2人だけですもん。お金もそんなにかかりませんし、自分の家ですから。ですから、主人がもう仕事をしていられないとやめてしまって。個室ですから,面会時間も自由。だからずっと2人で一緒にいました。そしたら主人がうつになってしまって・・・
――えっ、ご主人が、ですか?
「ご主人は精神科に一度みてもらったほうがいい」と先生が言いました。「あなたひどいから」って(笑)今でこそ笑い話になっていますけど、その時は半年しか生きられないと思ってますから。
何もしない手術のあと、MIRAさんを待っていたのは抗がん剤治療です。主治医と相談し、EGFR変異があったため、イレッサを使うことになりました。
※EGFR変異って何?イレッサって何?という方
→説明はこちらです。
説明を受けていたものの、イレッサの副作用は、想像を超えるものだったとか。
大変でした。もうお肌から膿みが吹き出すような感じ。洗っても洗ってもべたべたなんですよ。膿みが出て。それと足のつめが盛り上がってきて歩けなくなっちゃうし。足の指が全部そう。手の指もそうだったんで。
――全部って5本の指全部ですか?
そうです、そうです、はい。靴なんか絶対に履けないし、全てテープをまいて。皮膚科にいっていろいろと教えてもらいました。テープをぐっと貼って間を空けるんです。でも、だめでしたね。やっぱり休まないと完全には治らないです。でもそのころはこれしかないんだ。やるしかないんだと思ってやってました。
イレッサ服用・・・肝心の効果はというと・・・ありました!
瞬く間にがんが小さくなっていったといいます。
余命6ヶ月といわれましたが、それも何の問題もなくクリア。
ただMIRAさんの心は、整理のつかないままだったといいます。
なんて言えばいいのか…私はその頃お花のカルチャースクールをやっていたんですね。10年目だったんです。だんだん軌道に乗ってね。5クラスを持っていたのかな。フラワーアレンジメントの資格を取って一人で始めたんですね。皆さんに喜んでもらって、軌道に乗ってました。それができなくなるってことが辛かったです。いや、行けばいいですけどね。でも、顔には湿疹だらけ。で、サンダル履いて。同情されるのも嫌だし。変なプライドが邪魔をしてできなくなってしまったんです。だから、それもやっぱり辛かったですよね。あの人がんなのよ。かわいそうね。と思われるのは嫌なんです。というのは、お花を辞める時、手術すれば治ると思っていますから、ちょっと1、2ヶ月休みますねと言ったんです。けどそうじゃなくなったので。治ると言われたので、その時「肺がんなんです」と皆さんに言ってしまったんです。そしたらぱーっと広まってしまって…「MIRAさんは肺がんなんだ」と近所に広まってしまって。余計、外に出るのが嫌になってしまって…
薬が効いていても、心が追いつかず、なかなか日常生活へともどれないMIRAさん。一生のうちで一番辛い時期だったと振り返ります。
皆さんもやってますでしょ。玄米食とか。私もやりました。正直言って福岡の方からお水も買いました。だから最初の1年はすごいお金がかかりましたね。フコイダンってありますでしょ。あれ一升瓶でくるんですよ。
――あれ飲み物なんですか?
そう、そこのはね。それですごく効くって言うんです。それ4本で、12万円ぐらいだったかしら・・・今考えたら馬鹿みたい。それだったら旅行に行った方がよっぽどよかった。今考えるとね。でもその時は夢中だったから。主人も夢中になって、いいって聞くとすぐに買いました。友達がこれがいいなんて言うとすぐに買って。だから大変でした。それを飲むのが。
独自の食事制限も励みます。
がんは糖分が大好き。だから糖を断ちなさいと言うんです。甘いものは全部だめだというんです。果物もだめ。レモンだけはいいですよと。甘いもの食べたくなったら人工甘味料をやりなさいと言われて、それをやっていたんですよ。1年ぐらいやっていたのかな、毎日お鍋でした。
油物ダメ。
糖分ダメ。
お菓子ダメ。
果物ダメ。
食べることしか楽しみが無いのに、それだけになったら体重が落ちました。20キロ落ちて。先生が、心配して笹団子を買ってきて、これ食べなさいって(笑)甘いものやめるなんて、そんな愚の骨頂だって言うんです。脳がおかしくなっちゃうよって言われたんですね。
――一番やっていた時はどんな感じですか?
フコイダン
糖分を断つ
水
あと舞茸
知らないでしょ?舞茸の錠剤なんだけども、お医者さんがいて、それ飲んで肺がんが治ったっていうから(笑)それからカルシウムみたいのがあるんです。一日20粒飲むと言われて。何かね大変でした。もうすべてそっちなんです。だから何してたんでしょうか。
家に引きこもり、がんに効くというものを片っ端からあさる日々は約2年続きました。
そして、MIRAさんに転機が訪れます。それは息子さんが母を見かねて起こした、ある行動がきっかけでした。